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藤子不二雄Aの死因は心不全?自宅は川崎市寺尾台で過去に大腸がんや心不全の手術も

日本の偉大なる漫画家の一人・藤子不二雄A氏(本名・我孫子基雄)が、2022年4月7日に亡くなられました。88歳でした。

藤子不二雄A氏は『笑ゥせぇるすまん』『忍者ハットリくん』『怪物くん』、『プロゴルファー猿』など多くの人気漫画を世に送り出しています。

 

藤子不二雄A氏は自宅のある川崎市で亡くなったとのこと、死因は何だったのでしょうか?

 

 

藤子不二雄Aの死因は?


2022年4月7日に漫画家の藤子不二雄A氏(本名・我孫子基雄)が亡くなっていることが報道されました。

 

藤子不二雄A氏の死去が報道されましたが、死因は報道されておりません。

というのも、藤子不二雄a氏は午前8時40分頃に自宅で亡くなっているところを発見されたとのこと。

 

現在は警察が詳しい死因を調査中なのです。

88歳という高齢であった藤子不二雄A先生ですので、年齢を考えても何かしろの持病を抱えていてもおかしくはなかったでしょう。

 

ただ過去には藤子不二雄A先生は、大腸がんや心不全の手術を経験しております。

新しい情報が入り次第追記していきます。

藤子不二雄Aは過去に大腸がんや心不全で手術

藤子不二雄A先生には過去に大病を手術したことがありました。

 

2013年には大腸がんの手術を。

2017年には心臓弁膜症の手術をしています。

 

藤子不二雄A先生の全盛期の頃は、漫画家として担当編集者と毎日のように居酒屋やバーで朝までハシゴ酒をする日々。

そんな毎日を続けても健康診断には異常がなく、「編集者が身体を壊しても、藤子A先生は元気」と揶揄されるほどの驚きの病気知らずな健康体でした。

 

藤子不二雄A先生は禅寺の生まれで、食事も肉や魚を食べないという精進料理を長年続けていたことが幸いしていたのかもしれません。

 

しかし2012年末に医師からがん検診を勧められたところ、大腸がんを発見。

自覚症状もなく、健康に自信を持っていた藤子A先生はショックを受けたそうです。

 

2013年3月に腹腔鏡手術を受け、がんを除去。無事に退院されていますが、この入院中に藤子不二雄A先生は不思議な夢を見たとのこと。

 

そこは

『巨大なソーセージを食べるように迫ってくる外国人兵がいたり、橋の架かった小川の対岸のアパートから亡くなったはずの漫画家仲間たちが手招きをしていた』

と。

藤子不二雄A先生は、この川はもしかしたら三途の川だったのかもしれないと、無事に自宅に戻れたことを感謝されたそうです。

 

また2015年には息苦しさから病院に受診すると「心臓弁膜症」だと診断されています。

年齢もあり当初は薬で様子をみることに。しかし2017年に強烈な倦怠感に襲われ、数日経っても体調が回復しないことから心臓弁膜症の手術に踏み切ることに。

 

2017年8月に、僧帽弁の傷んだ部分を切ったり縫い合わせたりして形を整える心臓弁膜症の手術を行われたのです。

 

 

藤子不二雄A先生は大病を患ったことから、心不全予防キャンペーンの協力に快諾したりするなど積極的に病との関わりを紹介されていました。

藤子不二雄A氏の自宅は?川崎市多摩区寺尾台

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藤子不二雄A先生は、自宅で亡くなったところを発見されました。

自宅は川崎市と報道されていますが、どこなのか気になりますよね。

 

藤子不二雄先生といえば、漫画家を目指し上京した当時は東京都豊島区にあった「トキワ荘」に住まれていたことは有名ですよね。

 

その後、漫画家として独り立ちできるようになった藤子不二雄A先生はトキワ荘を出て、神奈川県川崎市多摩区寺尾台に一軒家を建てています。

 

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川崎市にこれだけ大きくて立派な庭を持てる一軒家とは、さすが藤子不二雄A先生ですよね。

3軒隣には元・相棒の藤子・F・不二雄先生の自宅もあります。

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そのため隣町にある生田には「ドラえもんミュージアム」があったり、街のいたるところに藤子不二雄先生たちの象徴となる漫画キャラクターを使用されています。

 

川崎市生田に住まれている人達も、2人の偉大な漫画家は誇りですよね。

 

藤子不二雄A先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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