話題の有名人

さいとうたかをの嫁(妻)や家族は?離婚歴2回の理由は生い立ちにあった

2021年9月24日、ゴルゴ13を生み出した漫画家「さいとう・たかを」さんがすい臓がんのため亡くなりました。

ゴルゴ13は53年にも渡る長寿漫画で、最も発刊巻数の多い単一漫画としてギネス世界記録も樹立。

 

さいとう・たかを先生の葬儀は親族のみで執り行われたそうです。

そこでこの記事では「さいとうたかをの嫁(妻)や家族は?離婚歴2回の理由は生い立ちにあった」という内容でまとめていきたいと思います。

 

 

さいとう・たかをの嫁(妻)は?結婚3回でバツ2(離婚歴)


ゴルゴ13の作者であるさいとう・たかをさんには結婚歴が3回、そして離婚歴が2回あります。

結婚に関しては本人も「失敗した」とインタービューで語るほど。

 

さいとう・たかをさんの1人目の妻は漫画家の「セツコ・山田さん」です。


現在は猫の漫画を描いていますが、さいとう・たかをさんとの生活を描いた「ゴルゴさんち」を描いており、嫁であったことを隠しているわけではないのですね。

 

2020年で78歳という高齢でもツイッターやコミティアに参加するなど、とてもバイタリティーにあふれた人物ですよね。

セツコ山田さんはさいとう・たかを先生に憧れ19歳のときに結婚。

 

ツイッターでは自画像を載せていらっしゃいますが、雑誌で巨匠漫画家とその妻という企画で顔写真も掲載されていました。

 

saitotakawo
画像出典:Twitter

お若い頃のセツコ山田さんですが、めちゃくちゃ綺麗な人ですよね。

19歳のころにさいとう・たかを先生の元に飛び込むなんて度胸もあります。

さいとう・たかをの娘や家族は?

さいとう・たかをさんは娘が3人います。

1人目の妻・セツコ山田さんとは2人の娘さんを授かっています。

そして二人とも漫画家なんです!

 

さいとう・たかを先生の娘さんたちは、「じゃんぐる堂」という共同ペンネームで同人誌や商業誌で漫画執筆をされています。

 

こちらが姉の「すー」さん。

画像出典:Twitter

さいとう・たかを先生が2018年のインタビューで娘が還暦になったとコメントされていたので、2021年時には62~63歳になるかと思われます。

 

やっと父親として扱ってくれると笑っていたので、それまではさいとう・たかを先生が父親というのに葛藤があったのかもしれませんね。

 

こちらが妹の「ぷー」さん。


画像出典:Twitter

妹のぷーさんは、父親さいとう・たかをの訃報もツイート投稿していました。

さいとう・たかを先生の娘さんたちは、母親であるセツコ山田さんと同じく大の猫好き。

そのため猫系のツイッター投稿が多めです。

かわいい!

 

他にさいとう・たかを先生の子供がいるのか探してみましたが、どうやらすーさんとぷーさん以外にもう1人娘さんはおり女系家族のようですね。

ツイッターで偽息子が現れたと注意喚起をしていましたww


有名人の家族や話題の人の親類を語るTicTokerやYoutuberがいますからね。

くれぐれも偽物にはご注意ください。

 

三浦健太郎先生も早すぎた( ;∀;)

>>三浦建太郎の顔写真がイケメン!結婚や嫁は?アイマスにハマって婚期を逃がし死去

さいとう・たかをの生い立ちがすごい!

 

先ほどもお伝えしましたが、さいとう・たかを先生はやり残したことに「結婚に失敗した」「亭主や父親をまともにやれなかった」と私生活をやり損ねたとコメントしていました。

 

というのもさいとう・たかを先生が自己分析するに、自身の生い立ちが原因で結婚にも不信感を持っていたのです。

子どものころから家に父親がいなくて、きょうだいも年が離れていたせいか、家族の形を知らないまま大人になった。そもそも、結婚という形態そのものに不信感を持っているからいけないのかな。一生ひとりだけを愛し続けるなんてあり得ない。世の中にはこんなにたくさんの異性がいるのに、無理があります。

 

さいとう・たかを先生の父親は、絵描きや写真家・役者などさまざまなアーティストとして生計をたてようとするものの次々に失敗。

さいとう氏が小学1年生のときに家を出ていってしまったのです。

 

幸い母親が家業の理髪店を営んでいたため、生活に困ることはなかったのですが母親からは「床屋になれ」と口を酸っぱく言われ続けていました。

 

しかしさいとう・たかを先生は、子供のころから絵を描くのが大好き。

大阪府の展覧会で金賞を受賞するほどの腕前でしたが、母親は失踪した父親の影が重なり息子の絵も丸めて燃やしてしまったほど「絵を描くこと」を嫌っていました。

 

さいとう・たかを先生も中学卒業後に理容学校を卒業し、一度は姉と家業を継ぐものの剃刀が怖くこのまま続けられないと漫画家になることを直訴。

1年間の猶予で朝から夜までは理髪店、夜中に漫画を描き1年後に初の長編漫画を完成させました。

 

出版社に持ち込むとすぐに本になることになり、1955年に「空気男爵」でデビューします。

亡くなるまで第一線で活躍されたさいとう・たかを先生ですが、母親は最後まで先生の作品を読んでくれたのかは分からないままだそう。

 

漫画家界における制作の分業制を初めて取り入れたさいとう・たかを先生。

さいとう・たかを先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

こちらもおすすめ
でぃぐとぴニュース

コメント

タイトルとURLをコピーしました