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高橋萌(パティシエ)のWikiプロフと経歴!名店やフランス修行で偉業を達成

2023年1月に開催された洋菓子の世界大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」で日本チームが3度目の優勝を飾りました。

優勝メンバーのひとりが、チョコレートを担当した女性パティシエの「高橋萌(たかはし もえ)」さんがTBS系番組「情熱大陸」に出演。

 

女性の活躍もめざましいパティシエ界ですが、高橋萌さんの経歴やプロフィールが気になりますよね。

そこでこの記事では、

・高橋萌が凄すぎ!クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーで優勝!
・高橋萌のWiki風プロフィール
・高橋萌の経歴がすごい!一流パティシエ店やフランス修行も

こちらの内容でまとめていきます。

 

 

 

高橋萌が凄すぎ!クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーで優勝!

 

高橋萌さんはクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー日本代表メンバーで、唯一女性メンバーとしてチョコレート細工を担当しました。

 

「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」は、世界50か国以上で実施された予選を勝ち抜いた国が本選に出場できる2年に1度行われる洋菓子のワールドカップで、2023年度は17か国が参加しました。

 

各国の代表選手は3名。

大会では毎回変わる総合テーマに合わせた

  • 工芸課題:飴細工、チョコレート細工、氷細工のピエスモンテ
  • 試食課題:シェア・デザート、アントルメ・グラッセ、ロリポップ、レストラン・デセール

これらを10時間という制限時間内で制作する、パティシエの技能や英知を発揮させる大会になります。

 

2023年1月20・21日にフランス・リヨンで開催されました。

世界17か国の代表が参加し洋菓子の世界チャンピオンを目指すのですが、日本代表は強豪フランスやイタリアを抑え16年ぶりの優勝を果たしました。

 

日本洋菓子界のレベルはとても高いものですが、2021年まで5大会連続2位という悔しい思いをしてきたためクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーで優勝するというのは大変偉業なことなんですよね。

 

しかもあの有名パティシエであり、大会会長でもあるピエール・エルメ氏は

”l’attention au détail, la persévérance, l’engagement”
日本代表の細部へのこだわり、忍耐、献身、素晴らしい資質

と日本代表の作品をベタ褒め。

他国も認める大変な作品を作りあげたのです。

 

こちらが高橋萌さんが作製したチョコレート細工「鯨」。

 

鯨の周りに海が見えてきそうな臨場感ある造詣も素晴らしいですが、色合いや細部まで作り込まれた細工には圧倒されます。

 

また強豪国との厳しい戦いを制した日本代表ですが、審査員たちは特に高橋萌さんや他メンバーたちが考案したデザートに魅了されたそう。


画像出典:twitter

美しいデザイン性だけでなく、3作品が1位と1作品が2位と味での高評価も得た素晴らしい作品となったのです。

 

高橋萌の優勝作品が買えるのがこちら

→高橋萌の働くエキリーブルの場所や通販情報!優勝作品の購入はできる?いつまで?

高橋萌のWiki風プロフィールと学歴

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2023年1月にフランスで開催されたクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」の優勝メンバーである高橋萌さん。

情熱大陸でも映されましたが、表彰式では嬉しそうに「チャンピオンだーー!」と叫んでいた高橋萌さんが可愛らしかったですよね。

 

まずは簡単な高橋萌さんのプロフィールからご紹介します。

【高橋萌のプロフィール】
本名:高橋萌(たかはし もえ)

生年月日:1986年11月13日
年齢:36歳(2023年2月時点)
家族構成:父親・母親・姉・妹

出身地:千葉県
学歴:市立船橋高等学校卒業→武蔵野調理師専門学校卒業(ダブルスイーツ科/現・高度調理製菓科)

 

高橋萌さんは、千葉県出身で3姉妹の次女として1986年11月13日生まれました。

2023年2月の時点で36歳になります。

 

高橋萌さんの出身高校は、サッカーの名門校でもある「市立船橋高等学校」を卒業。

市立船橋高等学校の偏差値は52(みん高調べ)なので勉強もできる方なんですね。

 

そして高校卒業後は、東京・池袋にある「武蔵野調理師専門学校」に入学。

武蔵野調理師専門学校では、ダブルスイーツ科(現・高度調理製菓科)にてパティシエの基礎を学ばれています。

 

高校卒業後すぐに製菓専門学校に入学。

2年制コースの製菓プログラム中心の学科を選ぶぐらいなので、パティシエを目指すの情熱が伺えますよね。

高橋萌の経歴!コンクールの優勝や一流パティスリー・フランス修行も

takahashimoe
画像出典:https://www.rbbtoday.com/article/2023/02/03/206108.html

武蔵野調理師専門学校を卒業した高橋萌さん。

「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」では日本代表唯一の女性として、テレビ番組「情熱大陸」の主役を飾られるほどの人物。

 

それもそのはずパティシエとして輝かしい経歴や実績があるんですよ。

パティスリー タダシヤナギ

2007年に高橋萌さんが専門学校卒業後に就職したお店が、パティシエ界の巨匠「柳正司(やなぎただし)」氏のお店である

「パティスリー タダシヤナギ」

 

パティスリー タダシヤナギでは4年間勤務しています。

学校を卒業後に柳正司氏のお店で働いたのですから、みっちりと基礎から応用まで働きながら学んだことでしょう。

 

そんな高橋萌さんの頑張りを知っているパティスリータダシヤナギでは、公式SNSから今回のクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーの優勝をお祝いするコメントが出されていました。

駒井崇宏 氏率いる日本チームが見事優勝!
YANAGIでも頑張っていた弟子の1人、高橋萌さん、よく頑張った!
嬉しい限りです。

 

師匠・柳正司氏にとっても嬉しいニュースだったでしょうね。

ウィーン菓子工房「リリエンベルグ」

高橋萌さんが修行をした2店目となるお店が

「リリエンベルグ」

 

こちらも洋菓子好きの方なら誰もが知っている名店ですよね。

こだわり職人肌の横溝春雄氏は、ウイーンのデメルに日本人として初めて採用された方。

高橋萌さんはフランス菓子だけでなく、ウィーン菓子の修業もしたかったのでしょう。

 

また同じころには「トップ・オブ・パティシエ2011」のチョコレート部門で3位に入賞!

 

2011年というと高橋萌さんはまだ25歳。

25歳の若さでチョコレート細工のコンクールで入賞されているのですからスゴイですよね。

フランス/リヨンDelices des sens(デリス・デ・サンズ)

2015年には、高橋萌さんはフランスの名店パティスリーでも修行されています。

フランス・リヨンの有名店

「Pâtisserie Délices des Sens」

 

高橋萌さんがフランス修行を決意した決め手は「フランス人の発想力を学ぶため」というもの

コンクールに勝つためには、強敵フランスのひらめきを学ぶべきと考えたのです。

 

1年間をフランス・リヨンで過ごされましたが、寛容な仲間ばかりではなく厳しく当たられることもあったそう。

しかし元来負けず嫌いな性格な高橋萌さんは、努力を重ね実力を示すことでシェフや仲間たちの信頼を得てきたのです。

インターコンチネンタル東京ベイ

2016年、フランスで1年修業をした高橋萌さんは日本に帰国し入社したのは、

ホテル インターコンチネンタル東京ベイ

 

ホテルでのパティシエ経験を積みながら、2018年9月5日に開催された「第25回ルクサルド グラン プレミオ」にも挑戦。

女性として初の優勝を果たしています。

 

このコンクールはイタリア・ルクサルド社の洋酒を使ってプティガトーとピエスモンテを製作するもの。

実技審査には、第一次書類審査を通過した選手5名が集結し、競技時間4時間という短い時間でその技術を競う大会になります。

 

高橋萌さんはこれまで3度挑戦し、4度目となる第25回の大会では絶対に優勝してやるという意気込みで挑戦。

シェフからのアドバイスを胸に、タイムリミットの間際まで粘り作品を仕上げただけあり優勝した時は一際嬉しかったそうです。

 

また2020年には、フランスのチョコレートメーカー・ヴァローナ社が発売している”ブラック・チョコレート「マンジャリ 64%」”の30周年を迎えたことを記念した「マンジャリ30周年 レシピ・コンテスト」でも優勝。

そのときの高橋萌さんの貴重なインタビュー動画がありましたよ。

 

数々のコンクールでの優勝経験をひっさげ、2021年11月に3度目の挑戦となるクープ・デュ・モンド出場者を決める国内予選で優勝。

高橋萌さんは、ついに2023年度の日本代表に選出されたのです。

エキリーブル

2022年より師匠である德永純司シェフがオープンした

「équilibre(エキリーブル)」

に、スーシェフとして働いています。

 

高橋萌さんが現在働くお店がこちら↓

→高橋萌の働くエキリーブルの場所や通販情報!優勝作品の購入はできる?いつまで?

まとめ

情熱大陸に出演した高橋萌さんが修業をしたお店はどこも名店ばかり!

そしてただ働くだけでなく、働きながら造形教室に通い躍動感ある作品を作り出す方法や、フランス人の発想力を学ぶために現地修行をしながらコンクールに出場していました。

 

大好きな仕事を突き詰める意気込みや努力が、高橋さんを数々の厳しい環境にも耐え、多くのコンクール入賞という結果になっているのでしょう。

 

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