2021年2月25日に福岡県飯塚市伊岡の県営団地で男児・田中大翔(ひろと)くん9歳が亡くなっているのが発見されました。ひろとくんの父親とみられる男性は、鹿児島県桜島のホテルで飛び降り重傷を負っています。
この記事ではわずか9歳でこの世を去ってしまった田中大翔(たなかひろと)くんの顔画像や小学校について調査していきます。調査していくと2週間も学校に行っていなかったひろとくん、学校の担任や教師たちは何をしていたのか。
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【福岡県飯塚】田中大翔くんの顔画像
3児遺体、父が無理心中図る? レンタカーに未使用練炭 (西日本新聞) 福岡県飯塚市と鹿児島市で子ども3人の遺体が見つかった事件で、鹿児島県警は27日、鹿児島市の #速報 https://t.co/xfSUgr9DqA
— NEWS JAPAN REALTIME (@news_type_c) February 27, 2021
2021年2月25日に福岡県飯塚市の県営団地で遺体で見つかった小学3年生の田中大翔(ひろと)くん。亡くなって1週間ほどが経っていたそうです。体には目立った外傷はなく病死だったのでは、と現在も調査中です。
田中大翔くんの顔画像がこちら。
まだ幼くあどけない笑顔が、見ている方の心を打ち悲しみが広がってきます。
近所の人の話では
と、団地内で活発に遊んでいる様子を目にしていただけに、とても驚いておりました。団地には同学年の友人もおり、よく外で元気に遊んでいた、どこにでもいる小学生のやんちゃな男の子だったようです。
ひろとくんの通っていた小学校は?
田中大翔くんの通っていた小学校がどこなのか気になりました。住んでいた集合住宅は福岡県の県営団地になり「県営花瀬団地」であります。
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飯塚市伊岡の県営花瀬団地の位置がこちらになります。
花瀬団地の近隣には2校あり、1つは「飯塚市立飯塚鎮西小学校」そして「伊岐須小学校」です。
画像:https://www.city.iizuka.lg.jp/ed-kyoikushido/kyoiku/kyoiku/gakko/documents/30kouku.pdf
花瀬団地が飯塚市のどちらの学区になるのか調べてみたところ、住所は伊川ですが「新花瀬」という校区になるため「飯塚市立飯塚鎮西小学校」であると特定されます。
全校生徒およそ600名ほどの学校で、グローバル化に対応した教育活動を行っておりましす。
田中大翔くんは父親に虐待をされながらも一緒に
田中ひろとくんは、以前は福岡市に住んでおり2020年4月に飯塚市に引っ越してきました。実は大翔くんは、鹿児島でホテルから飛び降りした父親とみられる男性から虐待を受けておりました。
2016年10月から2020年12月までの4年間に4回も児童相談所へ通告が。5歳の頃から虐待を受けていたことになります。そのときに父親はひろとくんに暴行したことを認め、その都度一時的に大翔くんは児童相談所に預けられてきました。
2020年12月には両親は離婚。しかし大翔くんは父親といることを選びます。これは父親である男性の知人が、警察がひろとくんに「お父さんとお母さんとどっちと一緒にいたい?」と確認したところ、「お父さん」と答えていたのを聞いています。
暴力を振るわれながらも、それでも父親と一緒にいたいと願った大翔くん。裏を返せば、父親以上に生みの母はひどいということ。父親から暴力を振るわれても、守ってくれない母、または一緒になって彼に手をあげていたのかもしれません。
それでも父親は一緒に出掛けたり、遊んだりしてくれたことがありました。近所の人も車で4人で出かける様子をよくみかけたと証言しています。手をあげられても、大翔くんにとっては優しいときもある父親が大好きだったのでしょう。
一緒にいるなら父親と選んだ矢先、まさか命を落とすことになるなんて誰が想像できたでしょうか…
2週間不登校でも教師は動かなかった
田中大翔くんは2月中旬には亡くなっていたと見解されています。しかも報道によるとひろとくんは、2月10日を最後に2週間登校していなかったことが分かっています。小学3年生の一人の生徒が2週間も学校に来ない状況に、学校や担任は何をしていたのでしょうか?何とも思わないのでしょうか。
大翔くんの父親とみられる男性は、度々警察沙汰になることもあり、団地の住民の中には、なるべく関わらないようにしようと思っていたと正直に話していた人もいます。その噂は保護者から子供へ、こどもから教師へも伝わっていたのでしょう。
小学校の担任も教頭や校長もできれば関わりたくない…というのが本音だったのかもしれません。しかし警察沙汰になる父親だからこそ、子どもたちの劣悪な環境から救い出す必要があったのでは…
大翔くんが元気なときには、明るく活発に遊んでいるという様子も近所に人の証言にありました。学校に通う事も友人たちと勉強することも遊ぶことも、学校生活を楽しみに過ごしていたことでしょう。
2週間欠席するまでに、ひろとくんの様子に何も変化が無かったとは考えられません。大翔くんが県営団地に一人で亡くなってしまったのは、一概に父親だけのせいではなく、関心を持たなかった教師にも責任はあるのではないでしょうか。
その他の情報もご存知の方がいましたら、ぜひ情報提供をよろしくお願いいたします。
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