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横峯吉文の家族構成や評判は?元妻へDV疑惑と不倫主張が真っ向対立で家族崩壊

バク転、跳び箱10段、漢字の読み書きなどエリート園児を育てる独創的な教育法として有名になった「ヨコミネ式」教育法。考案者となるのが、娘はプロゴルファー横峯さくらさんで元参議院議員の横峯良郎さんの兄・横峯吉文さんです。

 

そんな横峯吉文さんが週刊誌によりDV疑惑を報じられ、家族間の意見が真っ二つに分かれています。今回は横峯吉文さんの家族構成や評判、そして元妻へのDV疑惑について調べていきます。

 

 

横峯吉文のプロフィール

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画像:http://www.yokominejuku.jp/

横峯吉文(よこみね よしふみ)

1951年3月1日、鹿児島県志布志市生まれ
鹿児島県志布志市にて社会福祉法人純真福祉会を経営。
「通山保育園」、「伊崎田保育園」、「たちばな保育園」の3保育園と「太陽の子 山学校演習場」、「太陽の子 児童館」の理事長。

 

鹿児島県志布志市出身の横峯吉文さん。実弟には元国会議員の横峯良郎さん、そして姪には横峯さくらさんがいます。実は親せきには、お笑い芸人のスリムクラブ真栄田賢さん(父親と吉文さんがいとこ)がおり、なかなかの有名人一家なのです。

 

1981年より保育園を設立し、2008年にテレビ番組「エチカの鏡」で天才児を育てる教育法が評判だと特集され、一気に日本中に「ヨコミネ式」を広めさせます。その間に横峯吉文さんは20冊近くも書籍を出版。

教育本としては異例の10万部を超えるベストセラーにもなっております。テレビのおかげもあり、自身が推奨する「ヨコミネ式」を現在では全国に400近くの保育園や幼稚園・学習塾などに広めたのです。

 

2019年には四大陸選手権で女子フィギュアスケーターの紀平梨花選手優勝。紀平選手の卒園した兵庫県西宮市の幼稚園でも「ヨコミネ式」を取り入れていたということで再度注目されております。

>>学童のつるし上げは氷山の一角「ヨコミネ式」のいじめ

横峯吉文の経歴

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画像:http://www.yokominejuku.jp/

鹿児島県志布志市出身の横峯吉文さん。実は最初の職は保育園経営などとは縁もないものでした。高校を卒業した吉文さんは陸上自衛隊に入隊。地元・鹿児島の国文駐屯地に配属されます。吉文さんが20歳のときに高校の同級生だったA子さん(現在は離婚)と結婚。

 

しかしA子さんの父親が急死してしまい、A子さん両親が経営するスーパーマーケットを継ぐために自衛隊を退職します。スーパーの経営者となった吉文氏は、20代という若さで地元・新大隅青年会議所理事長に就任することに。

 

理事会長という職柄、頻繁な飲み会や接待が増えていきました。そこで吉文氏は保育園を経営する資産家と出会い、資産家の豪遊をみて自分も保育園を経営すれば「儲けることができる」と考えました。

 

スーパーマーケットの運営では底が知れていると思ったのでしょうか、元妻A子さんを説得。A子さんも自分の両親のスーパーを継ぐために、自衛隊を辞めさせてしまったという負い目からスーパーマーケットの売却に反対しませんでした。

 

しかしスーパーマーケットの売却金だけでは保育園施設の建設費用がまかなえず、A子さんの母親の所有する山や畑を売却してもらいます。そのかいもあり、1981年に鹿児島県内に吉文氏が経営する最初の「通山保育園」を設立。その後、少子化していく時代に逆走するかのように順調に保育園経営を拡大していくのです。

 

横峯吉文氏の主な経歴がこちら。

1975年 1月 早馬スポーツ少年団を設立
1980年 1月 新大隅青年会議所理事長就任
1981年 4月 社会福祉法人純真福祉会 通山保育園設立
1983年 4月 社会福祉法人純真福祉会 通山保育園園長就任
1984年 4月 有限会社純真学園 太陽の子幼稚舎設立
1987年10月 社会福祉法人純真福祉会 通山保育園園長辞任
1987年11月 社会福祉法人純真福祉会 理事長就任
1998年 4月 社会福祉法人純真福祉会 伊崎田保育所を運営
1999年 4月 社会福祉法人純真福祉会 伊崎田児童クラブを開設
2000年 4月 社会福祉法人純真福祉会 太陽の子児童館設置 館長就任
2003年 4月 新大隅青年会議所シニアクラブ会長就任
2003年 4月 曽於地区保育会会長就任
2003年 4月 鹿児島県保育連合会理事(~2005年3月)
2004年 4月 社会福祉法人純真福祉会 たちばな保育園受託運営
2006年 2月 az・c有限会社 代表取締役就任
2010年 4月 タイの孤児院支援
2011年 5月 韓国大慶大学客員教授に着任

 

そして横峯吉文氏が経営する保育園での教育方法がテレビで取り上げられ、またたく間に全国区の名前となっていきます。

 

もともと自衛隊出身の横峯吉文氏なので、自身の子育てでも保育園での指導方法でもスパルタを採用。世の中は昭和から平成に移り変わり、ゆとり教育の時代。あえてゆとりに対抗するかのような「甘やかさない」教育方針が珍しさもありテレビ受けも良かったのでしょう。

 

テレビではスーパー園児たちのすごさに反響が大きく、こぞってヨコミネ式を特集されました。「ヨコミネ式」をテレビで見た親御さんたちも、我が子もこうなって欲しいとヨコミネ式を推奨する保育園や幼稚園に殺到しました。

 

横峯吉文氏は現在でも保育園の理事長であり、ヨコミネ株式会社の理事をしております。

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横峯吉文の家族構成

横峯吉文氏は20歳のときに高校の道路だったA子さんと結婚。その後、3人の子宝に恵まれております。男児1人女児2人の5人家族でした。(現在はA子さんと離婚しております)

 

1971年に長男が誕生。長男は横峯真(よこみねしん)さんで現在49歳。ヨコミネ式の保育園で働いています。

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名前:横峯真(よこみねしん)
生年月日:1971年11月26日(49歳)
家族:妻、子ども2人

 

1973年には長女が誕生。横峯氏の長女は旦那さんと一緒にヨコミネ株式会社の役員をしており、保育園の運営に関わっている仕事をしております。

 

1976年には次女が誕生。次女もヨコミネ株式会社の役員の一人として系列学校の園長も務め、保育園やヨコミネ式教育法の運営に携わっております。

 

横峯吉文氏は3人の子どもがおりますが、週刊誌の取材によりDV疑惑と家族間が真っ向から対立している様子が分かりました。

元妻や家族へのDV疑惑と不倫

週刊誌の報道で横峯吉文氏のDV疑惑が報道されました。元妻A子さんは1971年に吉文氏と結婚し、結婚当初から家庭内暴力そして不倫行為があったと証言。A子さんは吉文氏の不貞行為や経営権の譲渡について裁判をする準備を進めています。

暴力がエスカレートし高齢の義母も対象に

新婚時から暴力があったというA子さんは、保育園経営に乗り出し、園長に就任した1983年ころからはさらに暴力がエスカレートと話します。

 

「お前みたいなバカな女は何もできんくせに!」と罵倒し、ビンタされることもしょっちゅうだったそう。吉文氏の気が済むまで暴力は振るわれたと話しております。

 

学生時代の友人はA子さんと食事をしたときに、A子さんの左腕が真っ青にあざが出来ていたことを覚えております。1980年代といえばまだDV法もなく、家庭内暴力があったとしても容認され、ひどい時には妻の出来が悪いからと非難も受けてしまうような時代。そんな時代ということもあるうえに子供のことを考えて吉文氏の元へ戻るしかなかったA子さん。

 

元妻A子さんは吉文氏から卑下され洗脳状態にもなり「自分が悪いから」「自分がバカだから」と自分のせいにして納得するしかなかったのです。

吉文氏の暴力はA子さんだけでなく、長女や高齢のA子さんの母にまで及んだと証言されています。吉文氏の長女は、父親に殺される思いもしたと話しております。酔っぱらって手が付けられない吉文氏に首を絞められることもあったといいます。

 

日頃から家族に対し「オレが言うこと危険のか?!」「オレを誰だと思ってるんだ!」という高圧的で威圧する言い方をする横峯吉文氏。長女は学生時代には父・吉文氏が怖く家に帰ってくると自室に逃げていたと。

 

A子さんは自分だけになら耐えうる暴力も、自身の子どもやそして資産も投げうって協力してくれた母にも、暴力が振るわれたことには怒りを抑えきれませんでした。

 

当初は娘をかばう義母に腹を立てて脇腹などを蹴り上げていたと。しかし長女の証言では、その後に機嫌がよくないと日常的に義母に対して暴力をふるっていたと証言します。若い頃に柔道もならっており、自衛隊仕込みの柔剣道もしていた吉文氏が襲ってきたらと思うと大変恐怖だったことでしょう。

>>「ヨコミネ式」はいじめの温床に?

長年の不倫に悩まされた日々

さらにA子さんは、吉文氏が30代後半のころからたびたび不倫をしていたことも暴露しています。吉文氏は、園長を務める保育園の女性保育士(当時20代)に手を出し、それが原因で園長を辞任してるとのこと。

 

当時、A子さんは保育園の給食センターに働いていましたが、吉文氏に急な出張を言い渡されて家を不在にしなければならなくなりました。一泊二日の出張でしたが、子供たちや家のことも心配で早めに帰宅すると、なぜか女性保育士の車が自宅に駐車してあったそうです。

 

女性保育士にそのことを尋ねると、園長宅でみんなで飲み会をしたと報告されましたが、他の保育士に聞いてみると、そのような飲み会は無かったと告げられたそう。

 

また別のときにも吉文氏が研修だと鹿児島県・霧島に出かけたことがありました。あやしいと女の第六感が働いたA子さんは、女性保育士が早退した車を無我夢中で追いかけていくと、宮崎県都城のホテル街に到着。残念ながら女性保育士の車を見失ったA子さんですが、それでも諦めずに探していたところ吉文氏の車を発見したのです。

さらにA子さんは追従の手を止めず、フロントで事情を説明すると宿帳を見せてくれたそう。そこには吉文氏の筆跡で「横山吉文」と偽名が書かれていました。女性と2人で止まっていると知らされ、乗り込んでやろうかと思ったA子さんですが、日ごろの暴力がふと頭によぎり怖くなって帰ってしまったそうです。

 

吉文氏の不倫は長女もたびたび感じていたとのこと。週末には知らない子供が家にいて母親はその子達の面倒をみて、父親はその子供の母親と出かけていくことが頻繁にあったと話します。

 

吉文氏の暴力と女癖に悩まされたA子さんは、離婚を訴えるも吉文氏に拒否をされたため、さらに追い詰められていきます。毎日ボーっと無表情で過ごす日々。しかし家を出る決心をします。子育てもひと段落した1995年7月に、吉文氏の不在を狙い荷物をまとめてついに別居することになります。

代表権をエサに離婚を迫る

別居となった横峯吉文氏とA子さん。すると横峯吉文氏はスナックで知り合った内縁の妻と出会い一緒に暮らし始めます。横峯氏はA子さんに離婚調停を申し出ますが、横峯氏への抵抗の証しとして離婚を拒否するようになりました。

 

しかし2017年頃から吉文氏は親族に「会社の代表権を譲り、身辺を整理したい」と言い始めます。そこで長女夫妻に経営を任せA子さんとも離婚してきちんとしたいと言うので、A子さんも離婚協議書を作成。

 

A子さんとしては、実母の財産を使って起業した会社だけにちゃんと子供たちに渡らないと、安心して離婚できないと考えていたのでしょう。しかし吉文氏は代表譲渡の項目を加筆しないままでいました。A子さんと長女は吉文氏に加筆を促しますが、良いように返事はするものの結局離婚手続きのみを先行させらたのです。

 

離婚が成立すると手のひらを返したように、経営を譲渡することなど言ってないと言い始める吉文氏。経営権は一生死ぬまで変えないと。

吉文氏や長男・次女は反論

しかしA子さんや長女の意見は真っ赤な嘘だと反論するのは、横峯吉文氏と長男そして次女の3人。横峯氏はA子さんのことを、鬱が激しく不安定な性格で本当のことを話さないタイプだと批判。さらにはいい思い出もなく忘れたい存在だと言わんばかりな反論です。

 

また長女に対しても、職員を脅し何人も辞めさせてきたり事務所に盗聴器をしかけたりする更年期障害でおかしな娘だと、双方の意見は対立しています。吉文氏は過去に保育士との不倫はない、もし不貞行為があったとしても男の性で手を出していい女のケジメはつけていると悪びれずにコメントを残しています。

 

また内縁の妻に関しては一緒に暮らしていることを認め、長男も次女も年老いた父親の面倒を見てくれる存在でありがたいと。また暴力に関しても長男も次女も見たことがないと反論します。そして父親に対して仕事に一生懸命で子どもたちを養うために死にものぐるいで働いてくれたと擁護しています。

 

そして吉文氏の孫にあたる長女の娘も真っ向反論しております。自分の母は病気で鬱にもかかっていると言い、適応障害による合併症で更年期障害だと診断されていると。自分の母親ながら私利私欲のために暴力を受けたと定かではない情報を言うとコメントしています。

→→6歳の少女を泣かせて公開いじめ!太陽の子児童クラブ職員は横峯吉文の身内!

 

ヨコミネ式を導入した全国の保育園や幼稚園へのロイヤリティーだけでも、月額1000万近い収益を集めているというヨコミネ株式会社。もともとは保育園を経営して儲けたい、という横峯吉文氏にとっては現実のものとなりました。経営権問題などトラブルの双方の意見がここまで食い違っておりますので、真相は法廷でしか解明できません。今後も新たな情報が入り次第追記していきます。

この記事はまだ不足している情報がありますので、もし他の情報もご存知の方がいましたら、ぜひ情報提供をよろしくお願いいたします。

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コメント

  1. 元関係者 より:

    「棒で叩く」証言は、本当です。ヨコミネ式の創始者講演会では、何万人の大人や教育関係者は、聞いている。
    「母ちゃんたちは、凛として育児をしなければいけない。台所の1番目に着くところに1メートルの物差しを飾って、子どもが悪いことをしないように脅しで飾ればいい。
    もし何か有れば太ももに1メートル物差しをフルスイングで腰を入れて叩けば、1発で聞きますよ」笑いがでる会場にも驚きました。園には、1メートル物差しが置いてありました。市役所や県は、今までクレームが無かったと言えるのでしょうか?